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第117回 強がってしまうのはなんでだろう?
執筆年  2004年   

画・ざむ姫

今日は大きな一日でした。
大きな心のブロックが外れたからです。
僕は弱い自分を見せられないとか、助けを求められない、ついつい強がってしまうという傾向があります。
その原因が分かり、開放できたました。

僕は自信に溢れているように見えるようです。
実際、根拠の無い自信があります。
新しいものにチャレンジするときも、
「どうせ最終的には上手く行っちゃうんだもん」
と思い込んでいます。で、実際にそうなります。
(ただし、何度も転び、倒れながらですが)
自分でもオレってかなり強いじゃんと思っているので、態度にも出ているのでしょう。

これは、良い面としては、めげないとかくじけないというプラスのほうに働くのですが、時には、軟弱な自分は許せないとか、苦しくても助けを求められないといった無駄なストレスを自分に与えてしまいます。

気がつけば、自分を苦しくしているだけじゃなくて、たとえば軟弱なことを言っている人を見てムカついたり、上手に助けてもらっている人を見ると妬むという感情が沸き起こってしまいます。

今日、あるセッションを受けていて、その原因になる経験を思い出しました!

それは、15歳の中学3年のときのことです。
僕は初めに願書を出した公立高校からワンランク上の学校に受験変更をするかどうかで激しく迷っていました。
最初の学校なら難なく合格するだろうけど、ワンランク上の学校だとギリギリラインなのです。

それは、人生初の自分で選択しなければならない分岐点でした。
出願変更が認められる最終日、はっきり覚えていますが雪の降る中、母親に付き添ってもらって、悩みながら、立ち止まりながら向かいました。
ワンランク上の学校に変えるつもりで家を出ました。
なのに、家の近所のバス停で、僕はすっかり縮み上がり麻痺してしまったのです。
腕を組んだり、あごにこぶしを当てたりして悩みました。
もし選択に失敗して、受験に失敗したらどうしようと怖くなって震えていました。

このときに、僕は迷い、恐れる自分をとても恥じて罰したのです。
「なんでこんな優柔不断なんだろう」
「なんて決断力が無いんだろう」
「母親に付き添われて立ち往生している自分が格好悪い」

弱い自分は格好悪い、恥ずかしいと思い込んでしまいました。
それ以来、弱い自分を自分として認めなくなってしまったのです。


自分の中で分裂を作り出していました。
だから、素直に弱い自分を認めてしまう人を見ると恨めしく思ったり、他人の助けを上手に活用して結果を出す人に嫉妬していたのです。
自分ひとりで生き抜くこと、やり遂げることに価値があるんだと思い込んでいたのです。

僕はイメージの中で、中学生の大人のようでまだ中身は子供の自分の肩を抱いて語り掛けました。

「悩むのもいいんだよ。恥ずかしいことじゃないよ」
「強がる必要も無いし、必要なときには助けてもらうのは素晴らしいことだよ」

強がっていた僕は15年経ってやっと重荷を降ろせて、喜びに泣いていました。



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